2022年1月9日から放送されているNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場している木曽義仲が源頼朝軍と戦い、討死・弔いの地。
義仲寺とは
旧東海道沿いにある義仲寺(ぎちゅうじ)は、その名のとおり、義仲を弔うために建てられました。
政治・経済が混沌とした平安時代末期、平家滅亡を目指し戦った義仲。
その義仲の生涯に熱い思いを寄せていた松尾芭蕉は自分の墓を琵琶湖のほとりにある義仲の墓の隣に建てるよう遺言しました。
境内には木曽義仲公と松尾芭蕉翁のお墓があります。
名称 | 義仲寺(ぎちゅうじ) |
住所 | 滋賀県大津市馬場1丁目5-12 |
Tel | 0775232811 |
開館時間 | 9:00~16:00 |
休館日 | 月曜日 |
入館料 | 300円/大人 |
HP | https://www.biwako-visitors.jp |
義仲寺の創建と”巴御前”
義仲寺がいつ建てられたのかは不明ですが、義仲の死後、側室であった巴御前(ともえごぜん)が義仲の墓所近くに草庵を結び、日々供養したことにはじまると伝えられています。
義仲寺の境内
境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」などの句碑が立っています。このほか、本堂の朝日堂・翁堂・無名庵などが立ち、境内全域が国の史跡に指定されています。
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本堂 | 朝日堂(ちょうじつどう)
朝日将軍の名で知られる木曽義仲公の木像が安置されているのが本堂です。
翁堂(おぎなどう)
芭蕉翁像が安置されているのが翁堂です。
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無名庵(むみょうあん)
松尾芭蕉が愛した”無名庵”は、「おくの細道」の旅を終えた松尾芭蕉がその年の暮れに過ごした場所です。その後も何度も滞在していたそうです。
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木曽義仲の墓(1154-1184)
河内源氏の一族であり、源頼朝とは従兄弟にあたる人物。木曽で育ち、源平合戦にて活躍した武士です。
倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破るなどの快挙を挙げ、瞬く間に京の都を占領しました。
しかし京都での振る舞いが後白河法皇らの怒らせてしまい、同族の源義経らによって追い落とされ、近江国粟津で討死し、此処に眠られています。
※倶利伽羅峠(くりからとうげ): 富山県と石川県の県境
朝日将軍の称号
義仲の別名である”朝日将軍”という称号は格好はいいものの「日は昇るがいずれ沈むものである」という後白河法皇の意図が見え隠れする称号であった説があります。
現に木曽義仲は将軍宣下を受けた時はすでに八方塞で、その10日後に鎌倉軍に討たれてしまったので、朝日将軍を称する武士は後世に居なかったようです。
巴御前の墓(生没年不詳)
平安時代末期の信濃国の女武者として伝えられる人物。
幼い頃から義仲に仕え側室となり、義仲の死後も生涯菩提を弔ったという伝説が残る。
義仲寺には義仲を支えた巴御前の塚が残されています。
松尾芭蕉の墓(1644-1694)
江戸時代に俳諧を職業とする俳諧師であり、俳諧を芸術的な高みまで引き揚げ確立させ、「奥の細道」という有名な作品を残しています。
芭蕉は大坂で逝去(せいきょ)しましたが、義仲の大ファンであった芭蕉は「骸は木曽塚に送るべし」との遺言を残しておりました。
生前の遺言通り、木曽義仲の墓の右隣に松尾芭蕉の墓が建てられ、境内には芭蕉の句碑や史料館が残されています。松尾芭蕉の歴史に触れることのできる数少ない観光スポットとして参拝者が訪れています。
まとめ
・義仲寺は木曾義仲・巴御前が眠る墓
・松尾芭蕉の墓や句碑が残る寺
・旧東海道沿いにあり、都会の喧騒から離れた穏やかな寺
・NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で話題の人物が眠る寺
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