湖中から現れた坂本城の石垣
今年は猛暑が続いた上に台風も来ないで、テレビやネットで連日、琵琶湖の水位が下がり続けている報道がなされています。
と、いうことで湖中から現れた坂本城の石垣を見てきました。(取材日の琵琶湖水位は-66cm)
名称 | 坂本城址 (さかもとじょうし) |
住所 | 滋賀県大津市下阪本3丁目1 |
城主 | 明智光秀 |
築城 | 1571年(元亀2) |
廃城 | 1582年(天正10) |
遺構 | 湖中に眠る根石と胴木 |
意外と知らない、坂本城石垣の場所
琵琶湖の水位が低下した時にだけ見られる坂本城の石垣は、坂本城跡公園から北へ150mといった場所。
坂本城跡公園に石垣が見られるものと、思っておられる方も多いですが、実は公園は坂本城の城外だそうです。
車で見に行かれる際は、坂本城跡公園に無料駐車場(18台)があるので、利用すると便利です。
徒歩で石垣のある場所へ
石垣のある場所までは、坂本城跡公園から徒歩で5分ほど。
まずは公園を出て、旧161号線を北へ向かいます。(すき家が見える方向)
150mほど歩くと”真栄ハウジング”の青色看板があり、この看板の足元から琵琶湖方向へ伸びる”あぜ道”へ!
畑と白いフェンスの間に伸びるあぜ道をどんどん進みます。
ここまで来ると”坂本城址 湖中に残る石垣見学ルート”の案内板。
そのまま、あぜ道を琵琶湖方向に歩くと二股な分かれたヨシ林。
この二股を左へ進むと、石垣が露出したポイントに辿り着きます。
戦国ロマンを求めると期待はずれ?
琵琶湖にせり出すように石垣を組み上げ、築かれた水城「坂本城」ですが、遺構は殆ど残っていません。
“本能寺の変”のあと、明智家が滅ぶのと共に焼失した坂本城。
“大津城”築城の際に、石垣などの資材は流用され、根石(ねいし)と胴木(どうぎ)がわずかに残る程度。
ですので、「え?これだけ??」と
落胆する人もいれば、落城したのち湖中で441年琵琶湖に沈みながらも、まだ原型を留める根石と胴木に戦国ロマンを感じる人もおられるようです。
・根石:石垣の一番下に積む礎石。
・胴木:不等沈降防止で根石の下に敷かれた木材。
上からみるとこんな感じ。
水位が-66cmのこの日、琵琶湖に向かって伸びる石列が露出しておるのと、横に続く石列(外周石垣の根石)の頭が見えています。
琵琶湖の水位が、観測史上最低の-123cmを記録した1994年(平成6)には、更に石垣が見えたそう。
水不足が心配な昨今ですが、今後更に水位が低下した際には、一見しておく価値があるかもしれませんね。(平時は水の中です。)
ちなみに石垣の後ろにある施設は、キーエンスの保養所といわれており、正面ゲート脇に“坂本城 本丸跡の石碑”が設置されています。
坂本城跡公園の浜から見る景色もオススメ
琵琶湖沿いにある坂本城跡公園も、渇水時には白浜が広がっています。
通常時には水の中を歩くと、普段見られない景色が見れますよ〜
ここから石垣のそばにあった桟橋も見ることができます。
坂本城址公園には、明智光秀公像や、説明板も設置されていますので、ここも見ていってもらいたい場所!
石垣が2段でも3段でも残っていれば、もっと見応えがあったんでしょうね^ ^
以上です。
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